
寄居の鉢形城は、北条氏がこの地域の拠点とした城で、城下集落や総構えも持っていた。
そこから西へ、荒川沿いに点在する戦国城郭が、支城網を作っていたと想定して描いた。

寄居の鉢形城は、北条氏がこの地域の拠点とした城で、城下集落や総構えも持っていた。
そこから西へ、荒川沿いに点在する戦国城郭が、支城網を作っていたと想定して描いた。

川越市にある戦国期の平城。
以前は、館が発展した城と考えられていた。
しかし周囲に集落などがなく、在地支配の場所に向かないため、川越合戦のための陣城ではないかとの西股氏の解釈によって描いた。

武州松山城は、埼玉を代表する戦国城郭。
三方を川に守られた丘陵上に、空堀が網の目のように巡る。
何度も戦場となり、北条氏、武田氏などが激しい攻防戦を繰り広げた。

別名、新田金山城。
国人領主由良氏の城で、戦国後期には北条氏の配下に入った。
上杉謙信の攻撃も撃退しており、唐沢山城とともに、北関東を代表する石垣の城。
戦国期の石垣としては本格的だが、文献資料では、織豊系の築城が行われた記録はない。

戦国時代に沼田氏の城として築城された。
安土桃山時代に真田信幸(信之)が改修し、五層天守を建てたとされ、その頃を想定。798と同じ角度から描いた。
左手の曲輪など、多少解釈を変えている。

戦国時代に沼田氏が築城し、真田信幸が大改修した。
当時には関東唯一だった五層天守が上がった。
「正保城絵図」をはじめ、複数の絵図から推定復元。

古墳時代の大規模な豪族館。
古代の館の数少ない発掘例の中でも、最も広い範囲が調査された。
広い水堀と馬出、三重の柵列などが検出されており、最も古い平城の例と言える。

高崎市郊外の山城。
文献や伝承もほとんどない無名の城だが、城址の縄張りから、武田流築城の典型と評価してイラスト化した。

真田昌幸の居城だった岩櫃城の中心部を見る。
最近の発掘調査で、大規模な堀の構造や、本丸の導入経路などが明らかになっており、それを反映させて描いた。

真田昌幸が武田氏の配下だった時期の居城。
背後に急峻な岩山を控え、その絶景でも知られている。
山上に城下集落も造られていた。

真田氏の支城で、左上遠方に本城の沼田城がある。
北条氏が名胡桃城を奪取した事件が、豊臣秀吉の小田原攻めの契機となったことでも知られている。

迷路のように張り巡らされた巨大な空堀が特徴的。
江戸氏配下の小幡氏の居城だが、大規模な構造から、戦国末期に佐竹氏の手が入ったと想像される。

文献には全く資料のない城で、城跡の遺構をもとに推定復元。
中央の低地を丘陵部が囲み、ジグザグ状の二重堀を巡らせるなど、個性的な構造が注目される。

中世、戦国時代から笠間氏の居城だったが、その後蒲生郷成が改修。
戦国山城の主要部を織豊城郭に変えた構造。
幕末まで笠間藩が置かれ、江戸時代の城としては大変個性的な存在だった。

国人領主だった佐野氏の城で、北関東を代表する石垣造りの山城。
上杉謙信の攻撃を何度も退けた堅城。現在、本丸は唐沢山神社となる。