359 十三湊

室町時代 考証 香川元太郎 1996年  世界文化社 『日本の城』

十三湊(とさみなと)は、十三湖の一角にあった城郭都市。
室町時代には津軽を代表する交易港で、安東氏の本拠として栄えた。
砂州の先端を利用していたが、現在は水路の位置が変わり、当時の地形は失われている。

129 弘前城

江戸時代 考証 香川元太郎 2003年  PHP研究所『名城を歩く』6

天守(御三階櫓)を始め、三階櫓や櫓門が複数残る。
建物の屋根には、凍結による破損対策として銅瓦を用いている。
台地を利用した立地で、土塁を多用しているのは、関東・東北の城によく見られる形。
主要部には石垣もあり、現在は桜の名所として有名。

365 五稜郭

江戸時代 考証 香川元太郎 2004年 PHP研究所 『名城を歩く』23

ヨーロッパ式の星形築城だが、この形は城壁を攻める敵に側面攻撃をかけるため生まれたもので、日本の城の横矢掛りと同じ発想。
星形城郭の完成時期は日本の近世城郭の完成と同時期で、大砲の性能が上がった幕末期には、最新鋭とは言い難い築城法だった。
南西(上)が函館市街と函館山で、北の海岸には弁天崎台場も築かれた。
五稜郭の建物は平面図と古写真から描いたが、その後現地では函館奉行所が赤瓦で復元され、イラストもその考証に準じて、データ上で赤瓦に修正している。
(下の画像はイラスト原画。黒い瓦で描いた。)

319 桂ヶ岡チャシ

江戸時代 考証 西股総生 2013年 『歴史群像 121 10月号』

「チャシ」は北海道のアイヌが造った城で、儀式用施設としての側面もあったとされ、謎が多い遺構。
幾つかの築城パターンがあり、このチャシのように、丘の頂上を利用するタイプも多い。
手前は熊祭り用に飼育する熊の檻。

320 コンブウシムイチャシ

江戸時代 考証 西股総生 2013年 『歴史群像 121 10月号』

崖の上を利用するタイプのチャシで、根室半島のチャシの中でも規模が大きい。
以前、チャシは古代から造られたと考えられていたが、現在確認できるチャシの遺構は北海道にしかなく、安土桃山時代から江戸時代にかけてのもの。
シャクシャインの乱など、倭人との抗争の中で生まれたと考えられている。

128 松前城

江戸時代 考証 永田富智 1999年 『歴史群像シリーズ 58 土方歳三』

幕末に造られた最後の日本式築城で、砲台と城の複合施設。
台地先端部を利用する城では、台地続き側の防御を厚くするのが通常だが、松前城では海岸防御が重視されていた。
戊辰戦争で榎本武揚や土方歳三の旧幕府軍に攻撃され、台地側の弱点を突かれて落城した。

842 坂田城

戦国時代 考証 西股総生 2018年  歴史群像 152 12月号

千葉県北部の国人井田氏の居城で、戦国末期には北条氏の配下になった。
舌状台地の先端部を用い、堀切で曲輪を区画した関東の台地上の城の典型例。

817 臼井城

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

印旛沼の湿地に突き出した、丘陵上の戦国城郭。
北条方の城となっていた時期に、里見氏と上杉謙信の大軍に攻められたが、これを退けたことで名を上げた。
印旛沼周辺には沼を要害として利用した城が多く、261、825の本佐倉城も有名。

809 国府台合戦

戦国時代 考証 香川元太郎 2016年 『戦国王17号、35号』

国府台合戦は、第一次と第二次の2回あり、いずれも戦いの中心は北条氏と里見氏だったようだ。
市川、松戸付近が主戦場となったが、当時の江戸川は利根川の本流で、現在よりはるかに水量が多かった。

800 国府台城

戦国時代 考証 香川元太郎 2017年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)

市川市の戦国城郭。戦国時代の関東で特に大規模な戦いだった国府台合戦で、里見氏の援助を得た小弓公方の主城となっていた。
合戦は北条氏が勝利し、北条氏の配下となった千葉氏の城になったと思われる。

825 本佐倉城

戦国時代 考証 香川元太郎 2018年 ベストパートナー(浜銀総合研究所)2022年加筆

千葉氏の城で、のちに北条氏の配下となって大規模化したと思われる。
261で描いたが、その後に発掘された部分(本丸の虎口や建物跡など)を反映させて描いた。
主な空堀がいずれも通路となって、その入り口に門があったことも明らかになっている。

261 本佐倉城

戦国時代 考証 樋口隆晴 2004年 『歴史群像 65 6月号』

千葉氏の城で、北条氏によって改修されたと思われる戦国城郭。
作画後の調査で明らかになった部分は、825のイラストに反映させた。
関東の低地には、湿地や湖を天然の堀とし、水運にも利用した城が多い。

841 寺山館

戦国時代 考証 三島正之 2018年 『歴史群像 151 10月号』

寺山館(てらやまだて)は、茨城の戦国大名佐竹氏が、会津進出の拠点として白河に築いた大規模な山城。
イラストは、反佐竹連合軍の攻撃を受けている場面を想定。
東北地方では、「館」(たて)の名がついた城が多く「城」と同等の意味だったと思われる。

681 摺上原合戦

戦国時代 考証 香川元太郎 1995年 世界文化社『ビッグマンスペシャル 伊達政宗』

摺上原(すりあげはら)合戦は、伊達氏と蘆名氏が戦った、戦国時代の東北で最大規模の合戦。
蘆名氏は敗走し、伊達政宗が東北一の戦国大名の地位を確立した。
右上は磐梯山。左下が猪苗代湖。

509 阿津賀志山合戦

鎌倉時代 考証 香川元太郎 2005年 学研『パノラマ絵地図3鎌倉~室町時代』

阿津賀志山(あつかしやま 厚樫山)は、福島県と宮城県との県境に近く、奥州街道が谷にさしかかる場所。
鎌倉時代初期、幕府を開いた源頼朝の軍と、平泉を中心に栄華を誇った藤原氏がここで激突した。
藤原氏方は三重の空堀による長塁を築いて幕府軍を迎えうったが、破られて敗走した。