275 久川城

戦国時代 考証 西股総生 2005年 『歴史群像 69 2月号』

南会津を代表する戦国の山城。
国人領主河原田氏の城で、伊達政宗の攻撃を退けたが、その後、秀吉の奥羽仕置で蒲生領となった。
山裾の虎口などは蒲生時代の整備と思われる。

152 会津若松城

江戸時代(戊辰戦争時) 考証 石田明夫 2013年 『歴史群像 119 6月号』

「鶴ヶ城」とも呼ばれる。
江戸初期には上杉氏、蒲生氏、加藤氏など何度も城主が交代した。
その後入城した保科氏(後に松平氏)の時代にも城は改修され、 建物には凍結対策に開発された赤瓦が使われた。
イラストは122と同じアングルから、戊辰戦争で新政府軍が城下に攻め込んだ時を想定。
瓦の赤色を強調し、地形の高低からの推定で、堀の一部を空堀に描いている。

126 会津若松城 天守断面

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

内部の明確な史料は残されていないが、一定の逓減率を持つ外観から、内部は母屋の部屋を入側が取り囲む構造だったと推定される。
特徴的なのは天守が天守台いっぱいに建てられず、塀で囲まれていることで、初期の天守形態の一つと考えられる。
石蔵は上下2段になっていたようで、下段には井戸があった。
江戸初期に加藤氏が改修したが、その時は通常の瓦が使われたと推定。

125 会津若松城 御三階

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社『日本の城』

本丸御殿の一画に設けられた三階建ての楼閣。城下の寺に移築されて現存しており、その形によって描いた。
しかし本来は雅亭だったと思われ、壁の造りなどが現在とは異なっていた可能性が高い。

122 会津若松城

江戸時代 考証 香川元太郎 2003年 PHP研究所『名城を歩』」12

「鶴ヶ城」の名でも知られる、東北を代表する城。
ほぼ平城と言えるが、台地の先端部を利用しており、イラストでは右上が高い。
馬出状に曲輪を重ねる縄張が特徴で、横矢をかけるためにギザギザを付けた折塀も面白い。

843 江見根古谷城

戦国時代 考証 三島正之 2019年 『 歴史群像 154 4月号』

 房総半島の江見に城址が残る山城。文献記録のない謎の城で、里見水軍の主力を担った正木氏が水軍基地として築いたと推定。房総の山城の特徴である、切り立った切岸に囲まれている。