140 鶴ヶ岡城

江戸時代 考証 鶴岡市郷土資料館 2006年 朝日ビジュアルシリーズ『週刊藤沢周平の世界 05』

小規模な平城で、ほぼ本丸のみの構成。
しかし大手門は石垣造りの枡形虎口で、御殿奥に天守的な二階櫓があるなど、近世城郭の特徴を備えている。

549 毛越寺

平安時代 考証 香川元太郎 2000年 あすなろ書房 『日本人は石で何を作ってきたか』

毛越寺(もうつうじ)は奥州藤原氏の都、平泉に造られた浄土教寺院のひとつで、特に規模が大きいもの。
当時の伽藍は失われているが、池を中心にした庭園が残り、本堂も再建された。
平泉の史跡群として、世界遺産に指定されている。

362 厨川柵

平安時代 考証 西ケ谷恭弘 1993年 『歴史群像 8 8月号』

平安時代後期、厨川柵が戦場となった後三年の役の攻防をイメージ。
厨川柵の詳しい構造は不明。
典型的な古代城柵よりも、中世平城に近いとの推定でイメージしている。

357 柳の御所

平安時代 考証 香川元太郎 1996年 世界文化社 『日本の城』

奥州藤原氏の本拠地、平泉の鳥瞰。
山上の中尊寺や、左の毛越寺など浄土教寺院が点在する。
川に突き出した柳の御所は、藤原氏の居館と推定されている。

135 盛岡城

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年 世界文化社 『日本の城』

東北では数少ない総石垣の城。
イラストに描いた江戸後期では、本丸御殿が建増されて、石垣下の段まで広がる珍しい構造となっていた。

134 盛岡城(本丸入口)

江戸時代 考証 香川元太郎 1997年  世界文化社 『日本の城』

江戸時代後期の本丸入口を二の丸から見る。
通常の橋のほか、2つの廊下橋がかけられた複雑な構造。
建て増しを繰り返して、このような形になったと思われる。

797 しなの館

戦国時代 考証 三島正之 2016年 『歴史群像 140  12月号』

しなの館(しなのだて)は、役内川沿いに点々と作られた戦国期の城郭群のひとつ。
畝状竪掘がびっしりと取り巻いているが、築城の経緯は不明。
東北では山城でも「館」(たて)の名をもつものが多くある。

345 払田柵の門

平安時代 考証 香川元太郎 1996年  世界文化社 『日本の城』

払田柵(ほったのさく)は 平安初期に造られた古代城柵のひとつ。
その門を発掘成果から推定復原。
現地にも同種の門が復原されている。
払田柵は、築城年代はほぼ特定されているものの、文献のどの城柵に当たるのかわからない謎の遺構。

359 十三湊

室町時代 考証 香川元太郎 1996年  世界文化社 『日本の城』

十三湊(とさみなと)は、十三湖の一角にあった城郭都市。
室町時代には津軽を代表する交易港で、安東氏の本拠として栄えた。
砂州の先端を利用していたが、現在は水路の位置が変わり、当時の地形は失われている。

129 弘前城

江戸時代 考証 香川元太郎 2003年  PHP研究所『名城を歩く』6

天守(御三階櫓)を始め、三階櫓や櫓門が複数残る。
建物の屋根には、凍結による破損対策として銅瓦を用いている。
台地を利用した立地で、土塁を多用しているのは、関東・東北の城によく見られる形。
主要部には石垣もあり、現在は桜の名所として有名。

365 五稜郭

江戸時代 考証 香川元太郎 2004年 PHP研究所 『名城を歩く』23

ヨーロッパ式の星形築城だが、この形は城壁を攻める敵に側面攻撃をかけるため生まれたもので、日本の城の横矢掛りと同じ発想。
星形城郭の完成時期は日本の近世城郭の完成と同時期で、大砲の性能が上がった幕末期には、最新鋭とは言い難い築城法だった。
南西(上)が函館市街と函館山で、北の海岸には弁天崎台場も築かれた。
五稜郭の建物は平面図と古写真から描いたが、その後現地では函館奉行所が赤瓦で復元され、イラストもその考証に準じて、データ上で赤瓦に修正している。
(下の画像はイラスト原画。黒い瓦で描いた。)

319 桂ヶ岡チャシ

江戸時代 考証 西股総生 2013年 『歴史群像 121 10月号』

「チャシ」は北海道のアイヌが造った城で、儀式用施設としての側面もあったとされ、謎が多い遺構。
幾つかの築城パターンがあり、このチャシのように、丘の頂上を利用するタイプも多い。
手前は熊祭り用に飼育する熊の檻。

320 コンブウシムイチャシ

江戸時代 考証 西股総生 2013年 『歴史群像 121 10月号』

崖の上を利用するタイプのチャシで、根室半島のチャシの中でも規模が大きい。
以前、チャシは古代から造られたと考えられていたが、現在確認できるチャシの遺構は北海道にしかなく、安土桃山時代から江戸時代にかけてのもの。
シャクシャインの乱など、倭人との抗争の中で生まれたと考えられている。

128 松前城

江戸時代 考証 永田富智 1999年 『歴史群像シリーズ 58 土方歳三』

幕末に造られた最後の日本式築城で、砲台と城の複合施設。
台地先端部を利用する城では、台地続き側の防御を厚くするのが通常だが、松前城では海岸防御が重視されていた。
戊辰戦争で榎本武揚や土方歳三の旧幕府軍に攻撃され、台地側の弱点を突かれて落城した。

842 坂田城

戦国時代 考証 西股総生 2018年  歴史群像 152 12月号

千葉県北部の国人井田氏の居城で、戦国末期には北条氏の配下になった。
舌状台地の先端部を用い、堀切で曲輪を区画した関東の台地上の城の典型例。