
北飛騨の国人領主、江馬氏の本城。堀切と竪堀で隔てられた尾根にも、点々と防御施設があった。背後の谷は、現在ダム状施設によって地形が変わっている。
画面左端に、室町時代の江馬氏の館跡があるが、ここは現在、発掘調査に基づいて会所、庭などが復元されている。

北飛騨の国人領主、江馬氏の本城。堀切と竪堀で隔てられた尾根にも、点々と防御施設があった。背後の谷は、現在ダム状施設によって地形が変わっている。
画面左端に、室町時代の江馬氏の館跡があるが、ここは現在、発掘調査に基づいて会所、庭などが復元されている。

飛騨の小島氏の本城。小島氏は三木氏の傘下に入り、江馬氏を攻めて高原諏訪城を落城させたとされるが、その小島氏や三木氏も金森氏によって滅ぼされる。
小島城の中心部に見られる織豊城郭的な石垣は、金森氏の改修によるものと推定されている。

戦国時代に粟屋氏が築き、越前の朝倉氏を何度も撃退して「難攻不落」と謳われた城。
その後の経緯を経て羽柴秀吉の配下にあった時、柴田勝家との緊張が高まり、決戦に向けて改修される様子を想定した。
城は、その後江戸初期まで存続し、改修を重ねている。

筒井定次が居城とした城に、藤堂高虎が改修を加えた。
高虎の築城 は、大坂の豊臣氏を意識したもので、本丸には全国1、2を争う高さの石垣が築かれた。
しかし豊臣氏は滅亡し、伊賀上野城の本丸工事も未完のままとなった。

神奈川県藤沢市に城址がある。扇ヶ谷上杉氏が山之内上杉氏との抗争時に築き、最終的には伊勢宗瑞(北条早雲)が攻略したとされる。 関東に多い台地の先端部を利用する城だが、 横堀を重ねた厳重な守りが特徴。

古代カルタゴの想像図。
カルタゴは、ローマと地中海の覇権を争った、アフリカ(現チュニジア)の都市国家。
詳しいことは不明だが、円形の港に多数の軍船(ガレー船)を収容していたという。

紀元前にユダヤのヘロデ王が完成させた離宮の要塞。
ユダヤがローマの支配に反旗を翻したユダヤ戦争で、最後の砦となった。
ローマ軍は巨大な坂道を建設して要塞を攻める。
3年が過ぎて兵糧も尽き、ユダヤ人たちは集団自決したという。

ウルはシュメール人が作った都市国家。
城壁に囲まれ、中心にはジッグラットと呼ばれる神殿がそびえていた。
古代メソポタミアには、同様の都市国家がいくつも存在した。
その都市国家のジッグラットが「バベルの塔」のモデルと想像される。

有名なギザの三大ピラミッド。
右からクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドで、河岸からカフラー王ピラミッドへの入り口にスフィンクス神殿がある。
ピラミッドは白い化粧石で覆われ、頂上部は金色だった。

中央アジアの要衝サマルカンド(現ウズベキスタン)は、紀元前からオアシス都市が発達していた。
様々な王朝の支配を受け、13世紀にはホラズム帝国の首都となっていたが、モンゴル帝国の攻撃で落城する。

東ローマ(ビザンツ)帝国の首都。
中世に難攻不落を誇った城郭都市だが、15世紀、オスマン・トルコの攻撃によってついに陥落した。
この際「バジリカ」と呼ばれる大砲が使われ、初めて大砲が攻城に効果を発揮した。
トルコの配下に入った町は「イスタンブール」と名を変えた。

コンスタンチノープルを南から鳥瞰
半島上に位置し、陸続きの部分は特に堅固な三重の城壁で守られていた。
東方のイスラム圏などからの攻撃を何度も跳ね返し、難攻不落とされていた。

エジプト北部のアレクサンドリアは、マケドニアのアレクサンドロス3世(アレキサンダー大王)によって開かれたとされる港町。
そのシンボルとなった大灯台は、古代の「世界の七不思議」の一つに数えられた巨大なもの。
海中から、灯台の遺構も発見されている。

稜堡は、近世ヨーロッパで発達した城。
城壁のすべての場所に十字砲火が与えられるように、という発想からギザギザの城壁が工夫された。
そのシステムの確立者、フランスのヴォ―バンは、塹壕を駆使してその城壁を攻める方法論も完成させた。
イラストはヴォ―バンが手掛けた城郭都市ヌフ・ブリザックをモデルに、ヴォ―バンの攻城法も描いた。

古代ギリシャのアテナイ(アテネ)は、パルテノン神殿のあるアクロポリスを中心にした都市(右上)だが、地中海貿易が盛んになると、港町ペイライエウス(左下)が発達した。
ここを基地としたのが、ギリシャ随一と言われたアテナイ海軍。
アテナイとスパルタが覇権を争った時期に、本市街とペイライエウスを結ぶ大城壁が完成した。